【営業職】の僕がメンタルを壊し、そこから立ち直った方法について。

キムと申します。
今日から本格的にキムブロを始めるにあたって、まずは私自身の事を書いておきます。
私は今年で58歳(1960年生まれ)になります。
地元の工業高校を卒業したあと大手建設会社に就職し、関東地区で
仕事をしていました。
25歳の時、身体を壊して(椎間板ヘルニア)退社。
その後、地元に戻り転職を繰り返しました。
生命保険のセールスマン・靴屋の店員・めがね屋の雇われ店長・衣料品問屋の営業職…
いろんな経験をしてきましたが、37歳の時に学校制服の営業職となり、以後20年以上学生服業界で
働いています。
37歳から44歳頃までは、仕事もプライベートも順調でした。
社長の奥さんが入社してくるまでは…
メンタルが壊れたきっかけ…
勤めていた会社の社長は、素晴らしく頭は良い人でした。
が、頭が良すぎて社員を見下すタイプの性格でした。
当然、社長と社員の間に溝が生じ、それは修復できないような
関係になり始めました。
事態を憂慮した会長(社長の実の兄)と社長が話し合った結果
社長の奥様を、社長と社員の間に入る “クッション” 役として
入社させることになったのです。
入社して2年間は、社員の側に立ってくれたおかげで、社内の雰囲気も
それまでになく良い感じに変わってきました。
ある日のこと。
私が発した言葉に、社長の奥さんは
「キムは、余計なことしゃべらないで‼」
と怒鳴りつけました。
頭の中が真っ白になりました。
私のメンタルが壊れた瞬間です。
そして、その時以降、私は言葉が出なくなりました。
その日を境に、社長と奥さんからの集中攻撃が始まります。
『給料泥棒』
『お前の脳みそは腐ってる』
『役立たず』
『ノイローゼ社員』
罵詈雑言を浴びせられる、殺伐とした朝礼が毎日続きました。
ボーっとしている時間が増えて、時には理由もわからず泣いてしまう
事がありました。
うつ と診断されました
7月のある朝。
朝食を食べていると、味がしないことに気づいたのです。
砂を噛んでいると表現しますが、まさにソレ。
まったく食べ物の味がしませんでした。
一緒に朝食を食べていた兄に教えてもらったのですが
私はその時
「味がしない…」
と呟いたそうです。
兄は
「今すぐ、精神科で診察をしてもらえ」
と言って、病院に予約の電話をしてくれました。
(実は、この頃の記憶は殆ど残っていません)
ストレス心療科を持っている病院に電話しましたが、
どこも空きがない状態。
最後に赤十字病院に電話したら
『11時過ぎだったら大丈夫だと思います』
という返事をもらうことが出来ました。
11時前に病院に入り待合室で順番を待ちました。
待合室には
・なぜか泣いている人
・焦点が定まらずに空中を見ている人
・ひたすら寝ている人
などが…
順番が来て、事前の問診が済んだ後、診察室へ。
先生は開口一番
「うつ病です。それも重症に近い。」
「ともかく仕事は休んでください。」
「診断書には2か月の休養が必要と書きます」
「抗うつ剤と睡眠導入剤を処方しますから、必ず服用してください」
この日から、10年にわたる病院通いが始まりました。
休職届…
翌日、診断書を社長に提出し、休職を申し入れました。
が、社長と奥さんから
「2か月も休むと仕事に付いていけなくなるから、1週間だけ休め」
「1週間後に、今後の話をしよう」
私は、1週間の休みに入りました。
1週間後、社長から電話が入りました。
「1週間経ったけど、そろそろ出てきてもらえないか?」
「今後一切、怒鳴ったりしないと誓う」
「朝礼も出てこなくていい」
という条件で、仕事に復帰となりました。
『なぜこの時点で退職しなかったのだろう』
と、今になって思います。
心理カウンセラーとの出会い
通院は月に一度だけで診察時間は10分から20分です。
1か月間の生活状況を、たったの10分強、話すだけです。
“そんな短い診察時間で、何が分かる?”
と思われることでしょう。
医師は、患者の話を聞いたうえで、どの薬を どれだけ処方しようかを
決めるのが仕事です。
また、たくさんの患者を診察する必要がありますから、
短時間になるのも、仕方がないかと思います。
抗うつ剤(パキシル)に頼るのは、とても恐いことでした。
また、一日も早く“元に自分に戻りたい”思いがありました。
そこで、心理カウンセラーを探すことにしました。
カウンセラーは、すぐに見つかりました。
それも、自宅の近所。
電話で予約をした三日後、カウンセリングを受け始めたのです。
『よくぞ生まれてきてくれました』
カウンセラーの先生は、県内でも指折りの実力を持った方でした。
にこやかに私を出迎えてくれ、私の話しを親身になって聴いてくれました。
カウンセリングの時間は2時間で、あっという間に終わって
しまったように記憶しています。
こちらには2年間通い、カウンセリングを受けるたびに、気持ちが楽になっていきました。
家族にも、会社でも話せない事が、カウンセラーの先生には話せるのです。
のちに、カウンセラーの先生に、
「先生は、どんな気持ちでクライエントを迎えるんです?」
と聞いたことがあります。
先生曰く
「『よくぞ生まれてきてくれました』と言う気持ちで迎えているのよ」
と答えられました。
その言葉を聞いた時、思わず涙がこぼれそうになりました。
『この先生にカウンセリングしてもらって良かった』
心理カウンセリングはプロに頼め!
私のカウンセリングをしてくれた先生は、県内でも指折りの実力者で、
この先生に出会ったこと自体が、とてもラッキーでした。
当時、ネットで検索するとたくさんのカウンセラーがヒット
したのですが、いずれも怪しげな感じのところばかり。
占いや霊能者、気功を使ってカウンセリングするといった
内容です。
また、わずか数日の受講で『カウンセリングが出来る』と
資格を発行しているところもあるようですが、数日の
講習を受けただけでカウンセリングを行うことは
到底ムリです。
私の先生は、国内とアメリカでカウンセリングを勉強し
県内の心理学教授の下で研鑽を積んで開業した人でした。
基礎がしっかりしていますから、クライエントが安心して
心の内を打ち明けられるわけです。
NLP(神経言語プログラミング)
カウンセリングに通っていたある日のこと。
セミナー案内のサイトを見ていたら
『NLP2日間講座』が、人気№1になっていました。
以前から、NLPのことが気になっていたのと、
うつ病から早く脱したい気持ちがあり
直ぐに申し込みを済ませ、翌週の名古屋セミナーに
参加しました。
セミナーは二日間。今で言う“フロントエンド”。
“バックエンド”はNLPのプラクティショナーコースの案内で、
もちろん、参加申し込みをその場で済ませてしまいました。
2か月後、大阪でNLPプラクティショナーコースが始まりました。
営業にも役立ったNLP
NLPは“脳と心の取扱説明書”と言われていて
3人の天才セラピストのセラピーを分析し
生まれたものです。
(ここでは、NLPの詳しい説明は省略します)
元々、カウンセリング現場向けに生まれたNLP
ですが、現代ではビジネス・教育・家庭などでも
活用されてきています。
私の場合は、うつ病から脱したいことが優先順位の一番。
そして、うつ病自体は自分以外の人とのコミュニケーションだと
思っていましたから、上司をコントロール出来れば治ると
信じていました。
心と仕事で役に立ったNLPのテクニックは
・キャリブレーション(観察)
・VAK(五感=視覚・聴覚・体感覚・味覚・嗅覚)
など、数多くあります。
その中で一番は『アソシエイト』と『ディソシエイト』です。
特に『ディソシエイト』とは、自分に起きた事象を 自分と分離した
状態(自分を客観視)で認識することです。
これは、当時の私にとっては ひじょうに良い教えでした。
朝礼で罵倒されたり、営業先で嫌な一言を聞いた時など
ディソシエイト(客観視)を意識しているだけで、
落ち込むことはなくなりました。
ヘッドハンティング
2013年11月のある日のこと。
同業他社の社員から呼び出され
「うちの会社に来ませんか?」
と打診がありました。
ヘッドハンティングみたいなものです。
業界では№1のセールスマンだった私が、心の病で
くすぶり続けているのを見かねて、声をかけてくれたようです。
勤めている会社を辞めたくて、ハローワークに通ってはいましたが、
50代後半に差し掛かった男を雇ってくれる会社などありません。
せっかく声をかけてもらったのですから、面接を受けることにしました。
給料・福利厚生など、当時の勤め先より、はるかに良い条件でした。
帰宅後、家族(兄と姉)に、勤務先を変わるつもりであると伝えました。
兄も姉も賛成をしてくれ、その夜のうちに退職届を準備しました。
猛反対
翌日の夜。
仕事を終えて帰宅後、社長宅に向かいました。
もちろん、胸の内ポケットに退職届を入れて。
午後7時過ぎの訪問と、思いつめた表情(だったんでしょう)でしたから
顔を見るなり
「お前は辞めさせん!」
と言われてしまいました。
一方的に怒鳴るだけで、こちらの話は一つも聞いてもらえません。
結局、退職届は渡せず帰宅。
完全に撃沈したわけです。
翌日から、猛烈なパワーハラスメントが始まりました。
毎朝のミーティングで人格否定を繰り返されます。
ミーティングが終わっても、人格否定は続きます。
営業周りから帰社した途端に、人格否定が…
仕事内容で叱られるのであれば納得しますが、
営業車のガソリンの減り方が異常だとか、
電話の対応がなっていないとか、ついには
家族のことまで馬鹿にされ始めました。
また、それまで仲良くしていた全社員が
私を馬鹿にするような言葉を言い始めたのです。
全てに自信を無くした私は、死を意識し始めました。
労働基準監督署
ヘッドハンティングをしてくれた会社からは
『いつからの出社になるのか?』
と毎日のように電話が入り、
勤め先では居場所がなくなりつつあった状況で、
最後は労働基準監督署(労基署)に駆け込むことになりました。
相談を聞いてくれた職員に、目から鱗が落ちるような一言をもらいました。
「会社を辞める権利は労働者側が持っています。会社が退職届を受け取らないのであれば
簡易書留で郵送し、出社しなくても大丈夫です。
あなたの会社(社長)の評判は、以前から労基署に届いています。
会社から脅しのような言葉が出たら、遠慮しないで労基署に申し出てください。」
労基署から帰宅後、すぐに退職届を書きなおし、簡易書留で会社(社長宛)に送りました。
『退職届を送ったら、一切会社からの出社要請に応じてはいけないし、電話にも出なくて良い』
と教えてもらってましたから、携帯の電源はオフ、家から離れた町で過ごすことにしました。
午後7時過ぎに帰宅すると、姉が
「社長の奥さんが、『出社して話し合ってほしい』って言いに来たよ」
「あんた、絶対に出社しちゃダメだよ!会社が認めるまで私が守ってあげるから」
と支えてくれました。
数日後、労基署に出向いて報告をしたところ
「会社が認めたら、業務の引継ぎだけはしてください。それが終われば
一切、関わる必要はなくなりますからね」
とアドバイスされました。
引継ぎ
私の後任の担当者が決まり、仕事内容のすべてを引き継ぐことになりました。
が、私の在籍している業界では、一人前に育つまでに最低3年はかかると言われています。
それを、わずか2週間で済ませなくてはいけないという、無茶な引継ぎです。
ただ、私は一日も早く辞めたかったから、ザーッと教えるだけ教えて脱出を狙ってました。
引き継いだ彼にすれば、迷惑な話です。
で、ザーッと教えて、「分かんないことがあったら電話して!」
と言い残し、2週間後には出社しなくなりました。
ところが、社長の考えは違ったみたいで、しばらくの間は私を出社させ続けようと
思っていたようです。
説得する為、社長の奥さんが毎日のように家にやってきはじめたのです。
退職成功!
毎日、社長の奥さんが家に来るようになって、私は雲隠れすることにしました。
雲隠れ先は、ヘッドハンティングをしてくれた会社でした。
正式に退職していない私を、かくまってもらいました。
奥さんが家に来ることで困ったのは、私の姉です。
毎日毎日、奥さんがクドクド話すものですから、最後は
「あなたの話を聞いているとイライラしてきますから。もう来ないでくれますか?」
と追い返してしまいました。
翌日、会社から封筒(A4サイズ)が送られてきました。
中には、退職を認めると書かれた書面と、退職にあたって提出する書類一式が入っていました。
やっと、退職出来ることになったのです。
ストレス心療外来で
新しい職場は、ヘッドハンティング先です。
のびのびと仕事をさせてもらえ、心にゆとりが生まれてきました。
そして、月に一度のストレス心療科での診察の結果、
『薬を続ける必要はない。これから先、診察の必要もない』
と診断されました。
10年かかって、職場もうつ病も脱出です。
まとめ
うつ病と診断されたら、どうしたらいいのか?
原因が何であれ、一先ず仕事から離れることです。
病院へ行きたくないし、薬も飲みたくない。
先ずは病院で診察を受けることが大事!ストレス心療科の医師はプロです。
得体のしれないカウンセラーもどきとは違います。
薬については、ネット上でいろいろと書かれていますから、
心配になる気持ちも分かります。
私は、薬を服用したおかげで、気分が落ち込むことはあっても
死を意識することはありませんでした。
自分で治す方法はないのか?
私の場合は、日記を書いていたことが良かったようです。
これ、医師も「続けてください」と言ってました。
たぶん、日記を書くことで、自分自身を観察することが
出来るからだと思います。
運動はした方がいいの?
身体は動かした方が気分的に楽でした。
ウォーキング程度でも気分はよくなりますよ。
会社を辞める方法は?
退職願を書いて、上司に提出だけです。
会社に居続けるのか否かは、ご自身の判断ですが…
今回のテーマはここまでです。
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